無知で愚かで、無敵だと思っていた私

中学生がヒッチハイクで米国横断の挑戦に端を発した一連の騒動は、無事に保護され帰国する方向に落着しそうで一安心である。一安心なのだが、私の中には妙に騒ついて落ち着かない部分が残っている。一体私の中の何がそのような気持ちにさせるのか。答えは簡単だ。10年前の私自身が、声を張り上げているからだ。

「お前も一緒だろ?」と。

 

沢木耕太郎の「深夜特急」、スウェン・ヘイデンの「失われた湖」を読み、世界を旅したくなった私は「バックパッカー読本」を購入し穴があくほど読み込んだ。大学を休学し、神戸港から天津行きの船に乗り、自身初の海外へと意気揚々と旅立った。

日々新しい体験が続いた。中国の電車でおばあさんが日本語を話せたことへの驚き。日本人とわかるまでチベット僧侶に胸ぐらを捕まれた衝撃。マオイストの活動によりインドとネパールの国境で停滞を余儀なくされたこと。日本では体験できないことばかりだ。

いま思い返せば、自分が如何に無知で如何に愚かだったかよくわかる。日本語話せるんですね!嬉しい!じゃないんだよ、なぜ話せるか考えてみろよ。日本人でよかった!じゃないんだよ、なぜ彼らは他の民族を敵視してるのか調べればわかるだろ。何も考えずに危険な思想持った奴らの懐に飛び込んでヘラヘラしてんじゃないよ、何もなかったのはただのラッキーだからな。

 

旅をしたいと言った時、父は強く反対した。危険だと。私はいっさい聞く耳を持たなかった。許可を求めたのではなく、宣言をしただけだったから。エッセイと旅行ガイドブックを読み込んだだけで無知で愚かな私自身は何も変わっていないのに、準備万端、どこにでもいける気がする無謀さだけが加わった危うい状態。父の心からの忠告も私にとっては雑音でしかなかった。結局父は折れ、「お前が旅の途中で死ぬかもしれないけれど、覚悟して送り出す」と言った。私は何を大げさな、と思っただけだった。危険な事は承知しているけれど、それがどれだけ深刻なものなのか想像も及んでおらず、自分に何か悪い事が起ころう筈もないと露とも疑っていなかったのだ。

あの時の自分の心情を振り返ると、保護されて帰国の途につく中学生の彼の気持ちがわかる気がする。自分は最大限準備した。なんで外野は足を引っ張るんだ。前に進みたい、それだけなのに。申し訳ないよりも、きっと悔しいの方が気持ちが勝ってるんじゃないだろうか。

中学生の彼と、10年前に旅した私と違いは年齢だけだ。彼は未成年で、私は成人後だった、それだけ。行動力や意志の強さは当時の私よりも遥かに彼の方が優っているだろう。誰かが引いた線でしかないけれど、大人として認められた時に再び闘志を燃やして欲しい。

 

私自身、たまたま幸運だったおかげで無事に旅を終えたわけだが、旅での経験が今の私を形作った事は疑うべくもない。日本を出て見えることは多く、これから世界的な競争が激しくなる中で多様性に身を晒す事は何事にも変えがたい財産になると自信を持って言える。若い人たちこそどんどん世界を目指して欲しいと思う。

だからこそ、年をとった自分にできるのは何と言われようとも若い命が無駄に散らないようお節介を焼くべきなのだと思う。うるせいジジイだ!と言われても関係ない。

諭す相手が成人し、法的に一人の自己責任を果たす能力があると見なされる人間であった場合には、結局最後は相手に委ねるしかない。

いつか息子が旅に出る時も、私にできるのは願う事だけだ。我が息子に、家族に、知人に、災難が降りかかりませんようにと。精神的、身体的な苦難に晒される事なく、成長し、元気に帰ってきてくれるようにと。

 

無知で愚かで、無敵だと思い込んでいたかつての私が、したり顔で説教をする自分自身に全力で挑みかかってくる今のこの状況を、いつか来る息子との前哨戦と捉えて向き合っておきたかった。

文字にするとまだまだ整理仕切れていないのだが、ひとまずここで終いにしておこうと思います。